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2021.11.21

フクダ電子株式会社 代表取締役会長 福田孝太郎さん

77号:文京区立湯島小学校 開校150周年記念 特別号

近代学校教育発祥の地と言われる「文京区立湯島小学校」が開校150周年を迎えました。湯島小学校をご卒業されたOBであり、開校150周年記念事業運営委員会の会長もお務めになられている、フクダ電子会長の福田孝太郎さんにお話を伺いました。

湯島小学校時代で思い出すこと

 江戸時代の寺子屋を起源とした湯島小学校の開校は1871年(明治4年)。東京で最も古く、歴史と伝統を誇ります。1945年(昭和20年)生まれの私が入学したのは、開校から80年が過ぎ、サンフランシスコ平和条約が締結された時代のことでした。
 現在もそうだと思いますが、当時も湯島小学校は教育プログラム指定校として全国に先駆けた新しい取り組みを行う学校でした。運動場といえば「土」が当たり前の時代においても、母校のグラウンドは舗装されていたように記憶しています。また、音楽の授業ではバイオリンを習いました。小学生が弾くわけですから、優雅な音色というわけにはいかず、ギーギーときしんだ音をたててみんなで演奏したことを覚えています。
 その音楽室に横山大観先生の「富士」が飾ってありました。とても大きくて立派な絵でしたが、当時、小学生だった私には、日常生活に当たり前のようにある絵が、どんな価値を持っているかなんてわかっていませんでしたよ。でも、横山大観先生がお亡くなりになったときは、当時の6年生全員でお葬式に参列したことは覚えています。今思うと貴重な体験の機会でした。

子供の頃の楽しみと鮮明な記憶

 なにぶん昔のことですから小学生だった頃の記憶もおぼろげです。それでも今なお鮮明に思い出せることもあります。それは朝の通学路で食べたおにぎりの味。釜でごはんを炊くと、底にはおこげが付きます。そのおこげに醤油をたらしたおにぎりをおふくろが毎朝作ってくれたんです。私はそのおにぎりをほおばりながら小学校に向かいました。白いご飯を食べられることが幸せという時代でしたから、あの味は忘れられません。
 私は、学校から帰るとランドセルを放り投げて、すぐに遊びにいくタイプの子供でした。家庭にまだテレビは普及していなかったので、近所のお稲荷さん(湯島御霊社)に来る紙芝居が何よりも楽しみでした。5円ぐらいの水あめを買うと、紙芝居が見物できるんです。できるだけ前のほうでかぶりつきで見たいのに、おじさんは地面に円を描いて「ここから先は入っちゃダメだ」なんて言ってましたね。それにしても、当時はものすごく広い境内だと感じていたのに、今見ると「こんなに狭かったのか」と記憶とのギャップに驚きます。

ニックネームと家業

 小学生時代の鮮明な思い出はもうひとつあります。学校の講堂をお借りして家業の商品写真を撮らせていただいたことがあるのです。フクダ電子がまだ「福田エレクトロ製作」だった頃ですね。フクダ電子は国産第1号となる心電計を開発した会社ですから、主力製品の心電計を200台ぐらいずらっと並べて写真を撮ったんです。当時、大量の商品を並べて撮影できる広い場所は、小学校の講堂ぐらいしかありませんでした。家から小学校まで台車に乗せて運んできたたくさんの製品が講堂にずらっと並ぶ様子を見るのは、子供心にもなんだか誇らしい気持ちになったものです。
 その一方で、子供時代の私は「社長なんかやりたくない」という気持ちもずっと抱いていました。だけど、最初はみんなに「こうちゃん」と呼ばれていたのに、いつの間にかあだ名が「社長」になっていたんですよ。そうなると日々マインドコントロールされているようなもので、本当に社長になってしまったから不思議なものです。

ふるさと文京百景:湯島小学校

明治の終わり頃の卒業生

大正15年 鉄筋の新校舎

青春時代の思い出

 私は地元の中学には進学せず、新宿区にある中高一貫校に進学しました。進学先は士官学校がルーツの非常に厳しい校風の学校で、往復ビンタも当たり前でしたね。そんな学校生活でしたが、高校生になった頃は仲間と一緒にバンド活動に夢中になっていました。当時、流行していたザ・ベンチャーズやエルヴィス・プレスリーなどを演奏したものです。
 高校・大学と学生時代を送り、湯島小が100周年を迎えた頃、社会人になっていた私はニューヨークにいました。当時は1ドル360円の時代。生活費として500ドルを持っていったのですが、アメリカに到着して早々、350ドルもするギターを買ったんです。GRETSCH(グレッチ)という、真っ赤なエレキギターです。一目ぼれでしたね。衝動買いで生活費の7割をギターにつぎ込んでしまったので、その後の生活はもちろん困ったことになりました。憧れのギターと引き換えにひたすら食費を削って節約する日々でした。当時のアメリカでの生活は鮮明に覚えていて、今でもニューヨークの地図は頭にしっかりと入っています。

経営者として大切にしていること

 さきほども申し上げましたが、子供の頃は社長をやりたくなかったのに、あだ名効果により40歳で社長になりました。私が会社経営で心掛けているのは、人と人の和を大事にすることです。会社というものは、外圧には案外強いもの。会社が壊れていくのは必ず内部からなんです。信頼しあって会社を発展させていく立場の中の人間が仲たがいすると組織は脆くなります。だから喧嘩をしない、敵を作らない。それが私のモットーです。
 生まれ育った湯島の街も、山の手と下町の両方の雰囲気を持つ場所だから、調和をとる気質が自然に育まれてきたのかもしれませんね。
 会長職になった現在、休日はレーシングカーのハンドルを握り、スポーツ走行を楽しんでいます。サーキットでは運転に集中するので、それがとてもいいリフレッシュタイムになっています。普通の人は安全をとってブレーキをかけるようなカーブでも、私は我慢して我慢して、スレスレというところまでアクセルを踏み続ける。一秒でも遅れると命取りになる世界ですが、スピードに乗るために集中することが私にとって何より大切な時間です。

湯島の街と母校への思い

 当時と比べ湯島もすっかり様子が変わりましたが、この街からは離れられないですね。どこに行くにも利便性がよくて住み心地がいい街です。 子供の頃、おつかいに行った小さな商店のほとんどが姿を消し、かつて商店街だった場所はマンションが立ち並んでいます。街の風景は変わってしまっても、母校が変らず存在していることは本当にありがたいことです。地域に育つ子供たちには、人生の礎となるこの時期にみずみずしい感性を養い、小学生らしい毎日を謳歌してほしいと願っています。最後に、地域と共にある我が母校・湯島小学校の更なる発展を心よりお祈り申し上げます。

昭和26年 初めての図書室

休日はサーキット場で

フクダ電子株式会社本郷事業所

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