2026.05.16
104号:紗都ちゃんの寺小屋ばなし
講安寺住職、両門町会町会長 池田紗都さん
前号でお伝えしました「無財の七施」についてのお話です。六波羅蜜の実践が難しい人に対して、お釈迦さまは費用も資本も能力も使わずに実行できる布施を説かれたのです。
一に、「眼施(がんせ)」といい、慈しみの眼差しのこと。優しい目つきですべてに接することである。二に、「和顔施(わげんせ)」といい、穏やかな顔つきをもって人に接することである。三に、「愛語施(あいごせ)」といい、ものやさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、愛情こもった厳しさが必要であるので、思いやりのこもった態度と言葉を使うことである。四に、「身施(しんせ)」といい、模範的な行動を自分の身をもって実践することである。人の嫌がる仕事でも喜んで気持ちよく実行することである。五に、「心施(しんせ)」といい、自分以外のものの為に心を配り、心底から共に喜んであげられる、共に悲しむことができる、他人が受けた心の傷を自分の心の痛みとして感じ取れるようになることである。六に、「壮座施(そうざせ)」といい、わかりやすくいえば座席を譲ることである。疲れていても、電車の中では喜んで席を譲ってあげること、さらには自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられるということである。七に、「房舎施(ぼうしゃせ)」といい、雨風をしのぐ場所を与えることである。突然の雨に遭ったとき、自分がずぶ濡れになりながらも相手に雨のかからないようにしてやること、思いやりの心をもってすべての行動をすることである。
お金がなくても地位がなくても、いつでもどこでも誰に対してでもできることです。「布施」は、持てる者が持たざる者に対して「めぐむ」ことであると考えている人が多いのです。そのため、「してやったんだ」という気持ちが心のどこかに生まれてしまうのでしょう。これでは折角の布施行も「施し」にはなりません。他のものに尽くしても役立つことができたとすら考えようとしないことが、本当の意味で「布施」ということなのです。