まちの人 alt

2021.01.17

高崎屋商店 代表取締役 渡辺 泰男さん

72号:会いたい!湯島本郷まちの人

中山道と日光御成道の分岐点・本郷追分で、江戸時代(宝暦)から現在に至るまで260年以上続く酒店さんを営む高崎屋商店。今回は9代目店主の渡辺泰男さんにお話を伺いました。

江戸時代から商売が続いている理由は時代の変化を言い訳にせず、新しいことに取り組み続けること

高崎屋の歴史を教えてください

 お江戸日本橋から最初の一里塚。江戸時代から商売を続けられているのは、 場所がよかったのもあるんでしょうね。 代々伝わる掛け軸に「高崎屋絵図」(天保 13 年/文京ふるさと歴史館蔵)という絵が描かれているんですが、東京大学農学部の敷地は、当時は高崎屋本家の住まいでした。天保の改革のときに家屋の取壊令が出て、水戸藩の敷地になり、それから東京帝国大学農学部になったのです。
 当主は代々「高崎長右衛門(ちょうえもん)」を襲名して、5代目までが本郷にいました。明治 20 年頃、本家の6代目が新川にあった南支店を継ぎ、本郷の店は当時の番頭だった渡辺仲蔵(なかぞう) が継いだんです。私の祖父は二代目の渡辺仲蔵ですが、実は初代と二代目に血のつながりはないんですよ。「商売をつないでいくこと」を高崎屋の宿命だと考えていたので、そうしたことも当たり前に行われていたんですね。
 5代目の高崎屋本家が南支店を継いだのは、新しい商売を始めたい思いがあったからです。それは明治初期に海運業で事業に失敗したことも理由のひとつだったのではないでしょうか。そして6代目高崎屋は、キッコーマン醤油販売のため、仲間と仲買人制度を作り大成功したのです。

長くご商売を続けられたコツは何だったのでしょうか?

 高崎屋は江戸時代に「江戸一」という酒のオリジナルブランドを作り、現金安売り商法 で栄えました。一方、高崎屋本店を任された初代番頭の渡辺仲蔵は、これまでの「江戸一」を「萬物一(ばんもついち)」に変え、酒・味噌・醤油をオリジナルブランドとして大口の販売得意先を開拓し、売り上げ増をはかりました。今も大正7年の日付が入った「萬物一」の商標登録の書類が残っています。
 こうしたことがわかるのは、古い資料が残っているから。江戸時代の徳利や杯が今でも残っているのは、東京大学が空襲の標的にならず、焼けずに済んだから。幸運なことです。こうした幸運に恵まれたことと、人とは違う何かをすることで、高崎屋は生き延びることができました。
 時代はいつも流れていて、昔と違うこともたくさん出てくる。だけど、やめちゃうわけにはいけない。時代が変わったことを言い訳にせず、新しいことをやることが商売が長く続くコツかもしれませんね。

ご自身のことを教えてください

 私は、昭和 14 年生まれ。9代目として高崎屋を継いで 60 年になります。
 中学3年生のときなんて、祖父に進学先を決められたんですよ。これも店を継いでいくため。今では考えられないほど、おじいさんが権力を持っていた時代でした。
 私は根津神社の氏子責任総代と、神社を活動拠点にしたボーイスカウト文京 第三団の代表もしていますが、昔と同じようにはいかないことも多くなりました。 今はみんなが忙しくなった時代です。だけど、続いてきたものを消すわけにはいきません。時代が変わってもこの先をどうつなげていくか。いつも考えていますよ。

最後にひとことお願いします

 マーチング通信は新聞の折り込みにも入っているし、郵便局にも置いてあるから、いつも読んでいます。地域のコーディネーターの役割を果たしているところがいいですね。これからも応援しますよ。


お知らせ

渡辺さんが代表を務めるボーイスカウト文京第三団では団員を募集しています。活動拠点は根津神社です。関心のある方はお店までご連絡を。

高崎屋商店
日曜日・祝日
03-3811-0833
113-0023 東京都文京区向丘1-1-17

 

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