2026.09.19
106号:会いたい!湯島本郷まちの人
護国寺第55世貫首・関本隆人さんにインタビュー
護国寺が創建されたのは天和元年、1681年です。五代将軍徳川綱吉公が、生母・桂昌院様の発願を受けて建立されたのが始まりです。
桂昌院様は大変信仰心の篤い方で、天然琥珀でできた10センチほどの小さな念持仏を大切にされていました。母親ですから、「息子が無事に成長してほしい。立派な人になってほしい」そんな願いを込めて、毎日祈っていたのではないでしょうか。
綱吉公が五代将軍となった翌年、母のために将軍家の薬草園だったこの地に護国寺が創建されました。現在の観音堂が造営されたのは元禄10年、1697年です。幕命によって、わずか半年余りで完成したと伝わっています。
元禄13年、1700年には、大老堀田正俊の妻・栄隆院が寄進したと伝わる六臂如意輪観世音菩薩像が、現在の御前立ご本尊となりました。桂昌院様が大切にしていた小さな琥珀の観音像は、今も絶対秘仏として大切に守られています。
その後、火災や関東大震災、戦災などを乗り越え、護国寺は340年以上の時を重ねてきました。ここまで守ってこられたのは、歴代の住職や僧侶だけの力ではないと思います。仏を護持する僧侶の力、観音さまへの篤い信仰の灯をともすご信者さま、それぞれの祈りの和により、今の護国寺につながっているのです。
千葉県船橋市の小さなお寺に生まれました。祖父の代から護国寺とのご縁があり、父も護国寺に奉職していました。
でも、子どもの頃からお坊さんになろうと思っていたわけではないのです。外で真っ黒になって遊んでいるような、やんちゃな子どもでした。
母が教師でしたので、私も子どもたちに何かを教える仕事ができたら、と思ったこともありました。
父の勧めで大正大学へ進み、18歳の時、護国寺で得度しました。その後の修行も護国寺。真言宗の僧侶にとって最も大切な儀式「灌頂」も、ここで受けました。
振り返れば、僧侶として歩き始めたのも、大切な教えを受け継いだのも、すべて護国寺なのです。
大学卒業後、他の仕事も考えていたのですが、護国寺に奉職しました。65歳になった時には、船橋の自坊へ戻ろうと思っていました。ところが当時の貫首より「もう少し働きなさい」と言われ、70歳まで勤めることとなりました。
そして、70歳になり今度こそ退こうと準備していたところ、先代の貫首が体調を崩され、私が代務を務めることになりました。その後、観音さまの御導きにより第55世貫首に就任する運びとなりました。
自分からこの立場を目指してきたわけではありません。一つひとつ、与えられた仕事をやってきた。その延長に今があります。
人生というのは不思議なものですね。自分なりに道を歩んできたつもりでも、振り返ってみると、人生の大切な節目にはいつも護国寺がありました。やっぱり観音様のお導きだったのかなと確信しています。
今は、少しでも観音様に恩返しができれば、という気持ちで居ります。

観音様のお導きにより第55世貫首に就任

元禄4年(1691)に建立、価値ある建造物「薬師堂」

真言宗豊山派 大本山 護国寺
まずは、この護国寺と大切な文化財を次の世代へきちんと残していく。それが私の一番の勤めです。
同時に、地域の皆さんにも親しんでもらえるお寺でありたいと思っています。
私は、お坊さんだからと上から話すのではなく、信者さんや檀家さん、地域の方々と同じ目線で話したいです。
地域のお祭りや子どもたちの活動にも、できる限り協力しています。子どもの声が聞こえる寺がいいですね。
山門を入ったら、少しほっとできる。観音堂で手を合わせて堂内にて、ただ静かに過ごせる場。340年以上前、一人の母親が息子を想って小さな観音様に祈ったことから始まった護国寺です。時代が変わっても、人を想う気持ちは変わりません。
そんな「祈り」と「人とのつながり」を、これからも大切にしていきたいと思っています。